ドミノと

「秘話」の最終稿において、〃元委員長″は、「二十一世紀を展望して日本の政治をどうすべきか性根を据えて考えるべき時だ」(9月略日付)として、次のような結論を導きだす。「国民の一人として言わせてもらえば、自民党で政治の改革ができるのだろうか。その点から言えば、今は自民党に手を貸すべき時ではない。与党でもなく野党でもない『第三極」を掲げることは、野党の結束を求める動きの中で腰が引けている印象だ。日本の政治を根本的に変えるという視点があれば、選択の幅はそう広くないと思う」自民党と組んでもいけないし、自民とも野党連合とも距離を置く、「第三極」に立つこともダメ、と言う。要するに、公明の行き方は、野党連合に組すべきである、と〃元委員長″は、後輩たちに向かって、一般紙を通じて訓示するのである。今から思えば、自民党と手を組むことを、いち早く封じようとしていることが分かる。単なる〃回想録″ではなく、やはり多分に政治的意図を持った連載だったことが分かる。しかし、これは古い思考と言わざるを得ない。〃二十一世紀″の〃日本の政治″を展望すると一口うならば、対立軸を間違っているのではないか。

そこで企業とすればモノを作ればよい。そして売れるのであるから、積極的に売って儲ければよい。ところが、その意味では、世界中どこの国でもモノが不足しているのであり、国民が望むモノを十分に作ることのできる国はほとんどない。モノが求められているのであるから、それに応じて作り出せば、儲かるはずである。しかし現実には、そうはいかない。そのような社会ではモノが作れなくなっているからである。我々は、モノを作るための条件が揃っている社会にいて考えている。必要があれば、いつでも簡単にモノを作り出すことができる。ところが普通の国では、そのようなモノ作りの条件は整っていない。 第四章モノ不足経済への転換たとえば、人々が意欲的に働くとはかぎらない。一生懸命努力をしても、それが報いられることがないために、本当に能力のある人々が海外に移住し、国内ではやる気のある人ばかりではなくなることが考えられる。

しかし,民法は,日常頻繁に行われる弁済に関して取引の安全を保護するために,例外的に,そのような場合にも当該弁済が有効となりうることを認めた。その一つは,「債権の準占有者」に対して善意で弁済がなされた場合である(78条)。債権の準占有者とは,自己のためにする意思をもって債権を行使する者のことである(05条参照)。たとえば,指名債権の事実上の譲受人,無記名債権証書の所持人,預金証書その他の債権証書と印章を所持する者,表見相続人などが判例によって準占有者とされてきた。この規定によって弁済者が保護されるためには,受領者は債権者ではないことあるいは受領権限を持たないことを知らないで弁済がなされたことを要する(善意要件)。しかも,判例・通説は,次に述べる受取証書の持参人に対する弁済保護の規定(80条)との整合性などを理由に,善意であることについて過失がなかったこと(無過失)をも要すると解している。

3節一学問の自由憲法3条は,「学問の自由は,これを保障する」と定めている。学問の自由とは広義においては,一切の学問的研究の自由,その研究成果を発表する自由,および③教授の自由を意味し,狭義においては,高度の学問の研究・高度の教育機関の自由,特に大学の自由を意味し,それには大学の自治が含まれる(なお,これを広く国民一般の「学習権」としてとらえる見解もみられる)。 3節学問の自由79回学問の自由の保障学問研究の保障は,内心にとどまる限り,絶対的に保障される。しかし,学問の研究方法(たとえば遺伝子組替えの方法)などに一定の制約を加えることは許されよう。研究発表の自由および教授の自由については,基本的に表現の自由と同じように考えることができよう(時の政府の政策に適合しないからといって,戦前の天皇機関説事件の場合のように,学問研究への政府の干渉は絶対に許されてはならない)。